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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)1699号 判決 1974年4月09日

原告

三木仙也

右訴訟代理人

倉田哲治

被告

右代表者

中村梅吉

右指定代理人

宮北登

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

(一)  被告は原告に対し、金二〇一万三五六円およびこれに対する昭和四五年一月九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨。

第二  請求原因

一  原告の逮捕、勾留、起訴

原告は、昭和四二年一月一八日有価証券虚偽記入の罪名で逮捕され、引き続いて同月二〇日同罪名で勾留されたが(右逮捕、勾留の請求者はいずれも横浜地方検察庁横須賀支部検察官市川敏雄)、同検察官は同年二月八日横浜地方裁判所横須賀支部に対し、原告を身柄拘束のまま左記公訴事実により有価証券虚偽記入の罪名で起訴した。

「被告人は、昭和三十七年八月三十一日登記簿上のみ東京都千代田区東神田十二番地に本店を有し、資本の額を一億二千九百万円とする住友建設株式会社に住友一夫と共同して代表取締役に就任したものであるが、右会社は資産皆無であり、資産再評価による再評価積立金の資本組入の事実もなく、他に株式の引受及び払込もなく、資本が充足されていない会社であることを知りながら、あたかも資本が充足されているかの如き内容虚偽の株券を発行し、これを譲渡又は人質して利を図ろうと企て、行使の目的をもつて

第一  昭和三十七年九月二十一日頃、東京都港区麻布新堀町七番地日本証券印刷株式会社において、永坂周次を介し、中西清吉をして株券用紙二百五十八枚に住友建設株式会社株券壱千株券金五十万円、株主山野井仙也殿、発行する株式総数二十五万八千株、一株の金額五百円、右記名者は本会社の定款を遵守し、本会社株式一千株の株主たることを証す、昭和三十七年九月一日、住友建設株式会社代表取締役住友一夫及び社長之印等と印刷され、あたかも一億二千九百万円の資本金が充足された住友建設株式会社の株式一千株、額面五十万円の価値ある株券であるかの如き内容虚偽の株券二百五十八枚を発行し、

第二  昭和三十八年八月十九日頃、東京都世田ケ谷区代田二ノ十四ノ四株式会社博文堂印刷所において、遠藤孝夫をして株券用紙六百枚に住友建設株式会社株券壱百株券金五万円、株主山野井仙也殿、発行する株式総数二十五万八千株、一株の金額金五百円右記名者は本会社の定款を遵守し、本会社株式百株の株主なることを証す、昭和三十七年九月一日、住友建設株式会社代表取締役住友一夫及び社長之印等と印刷させ、あたかも一億二千九百万円の資本金が充足された住友建設株式会社の株式百株、額面五万円の価値ある株券であるかの如き内容虚偽の株券六百枚を発行し、

たものである。」(以下、右一連の刑事事件を本件という。)

その後、本件は東京地方裁判所で審理されていた原告にかかる別件詐欺、横領被告事件と併合審理されることとなり、同裁判所へ移送されたが、同裁判所は昭和四二年六月六日原告に対し保釈金五〇万円をもつて保釈を許可し、同月一五日原告は釈放された。

二 無罪判決とその確定

東京地方裁判所は本件を審理の結果、昭和四四年一二月二六日原告に対し右有価証券虚偽記入の訴因について無罪の判決を言渡し、同判決は検察官の控訴がなく確定した。

三 担当検察官の違法な職務行為

(一)  本件の犯罪不成立の明白性

1  本件株券記載事項の真実性

本件は、原告が会社の設立手続を省略するため休眠会社である住友建設株式会社を同社の代表者住友一夫より買収したところ、同人において既に作成してあつた同社の株券が汚損したり、滅失したりしていたのでこれを印刷し直したというだけに過ぎない事案である。

原告は、同社が買収の時点において資産皆無であることは知つていた。しかし、前記無罪判決が指摘しているように、授権資本制をとる我が国商法においては、資本と株式との関連は分離され、株式はもつぱら株主権、すなわち株式会社の発行済株式総数に対する割合的持分権を表象するに過ぎず、その株券の表象する株式券面額は会社資産の経済的価値を表象するものではない。そして、株式の発行が会社の資産状態と無関係である以上、株券の発行も会社の資産状態の如何によりその可否が左右されるべきものではない。会社の資産状態が不良であれば、発行された株券が事実上価値の低いものとして取引されるだけのことである。そうであるとすれば、本件株券には、何ら事実に反する記載は含まれているものではなく、原告の本件株券印刷は明らかに有価証券虚偽記入罪の構成要件に該当しない。

担当検察官が右自明の理をわきまえず、商法の解釈を誤り、本件につき有価証券虚偽記入罪が成立すると判断したことは重大な過失というべきである。

2  架空増資に対する認識不存在

前記のとおり、原告は住友建設株式会社が資産皆無であることは知つていた。しかし、原告は住友一夫が会社資産の過大評価を行ない、これを資本に組み入れるという架空増資手続きを行なつたことについては全く知らなかつた。

原告は同社を買収するに際し、事前に商業登記簿の記載や定款を調査し、同社が商法上有効に存在する会社であることを確認したが、住友が右増資につき処罰されたとか、所轄官庁より行政処分をうけた形跡もなく、右増資が有効であるか否かについては知る術もなかつた。いうまでもなく、原告が本件株券を印刷した時点において、同社が資産皆無であつたことに対する認識の有無と右架空増資に対するそれとは全く異質の別問題である。

担当検察官は、その証拠が全く存在しないにもかかわらず、原告に全く関係のない同社譲り受け以前の架空増資を強引に原告に結びつけようとした点においても、その判断には重大な過失があつたというべきである。

3  行使の目的の不存在

仮に本件株券に何らかの虚偽記載事項が含まれているとしても、前記のとおり本件株券は従前の株券を単に印刷し直しただけで、原告にはこれを他に譲渡、転売などして利得しようとする意図は毛頭なかつた。本件株券は、印刷された後会社ロッカー内に保管されていたが、これを原告の知らぬ間に古賀信行が窃取し、勝手に市場へ流出させたものであつて、原告には無関係なことである。

検察の常道として、本件の如き行為は有価証券虚偽記入、同行使罪として立件、起訴されるのが通常であるにもかかわらず、本件起訴が単に虚偽記入にとどまつているのは、担当検察官が原告の本件株券行使の目的につき何らこれを立証すべき証拠を有していなかつたことを如実に示すものに他ならない。

この点においても、原告に行使の目的ありとした担当検察官の判断には故意もしくは重大な過失があつたというべきである。

(二)  捜査権の濫用

前記のとおり、本件は古賀信行が本件株券を盗み出し、これを質屋に入質したことが発端である。原告は被害者であれこそすれ、古賀の詐欺事件とは全く無関係である。このことは、古賀自身も捜査の過程において終始認めているところである。

しかるに、担当検察官は、何の根拠もなく原告と古賀との間に何らかの結びつきがあるものとの予断を抱き、古賀に対して本件株券の市場流出は原告の指示に基づくものである旨の供述を強要した。ところで、原告は本件の捜査が開始された当初より参考人としての事情聴取にも快く応じ、関係書類等も一切提出して積極的に捜査に協力し、逃亡、罪証隠滅のおそれ等は全くなかつた筈である。田浦警察署が、本件を原告に対しては終始任意捜査により追行したことはこれを明らかにしている。

しかるに、担当検察官は、前記のとおり昭和四二年一月一八日突如として原告を逮捕、次いで同月二〇日勾留したが、これは全くその要件がないにもかかわらず捜査権を濫用して原告の身柄を不当に拘束し、原告の人権を不当に侵害した点において故意もしくは重大な過失であつたというべきである。

(三)  担当検察官による本件逮捕、勾留、公訴の提起は公権力の行使に該当するから、被告は国家賠償法一条一項に基づき原告が被つた後記損害を賠償すベき義務がある。

四 損害<略>

五 結論

よつて、原告は被告に対して右四、(一)ないし(五)の合計二一五万九、三五六円の損害賠償請求権を有するところ、原告は昭和四五年九月三〇日東京地方裁判所において刑事補償として一四万九、〇〇〇円の交付決定を得、その支払を受けたので、本訴においてこれを控除した二〇一万三五六円およびこれに対する本件につき無罪判決の確定した日の翌日である昭和四五年一月九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  請求原因に対する答弁ならびに被告の主張

一  請求原因一、の事実は認める。

二  同二、の事実は認める。

三(一)  同三、のうち、原告が住友一夫より休眠会社である住友建設株式会社を譲り受けたこと、同社が当時資産皆無であることを原告において知つていたこと、古賀信行が会社ロッカー内に保管されていた本件株券を盗み出し、これを入質したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  担当検察官の職務行為の適法性

検察官は、刑事訴訟法上の時間的制約内において収集した全証拠を総合検討して犯罪の嫌疑が十分であつて、公判審理のうえ有罪判決を受け得る見込みがあるとの合理的心証に達したならば、起訴を猶予すべき特段の事情がない限り公訴を提起すべき職責を有するものであるが右のような起訴である以上、その後の公判審理において新たな証拠が提出されたり、裁判所が証拠に基づく事実判断や法律の解釈につき検察官と異なる見解をとつた等の理由により無罪判決が下されたとしても、このような結果は訴訟の構造ないしその動的な性格に起因するものであり、検察官の公訴の提起が当然に違法となるわけではない。

1 本件の犯罪構成要件該当性

(イ) 本件株券記載事項の虚偽性

住友建設株式会社は、昭和三六年一月一三日再評価積立金組入の方法により資本金を従来の一〇〇万円から一挙に一億二、九〇〇万円に増資したが、当時同社にはもちろん代表者住友一夫個人にも再評価の対象とすべき資産は皆無の状態であつたので、これは明らかにいわゆる架空増資であつた。ところで、右架空増資に伴なう新株の発行(いわゆる無償交付)は、資本充実の原則を犯しているという意味においては、あたかも払込みがないのに新株を発行する場合と全く同じであるといわなければならない。

後者の場合、払込み又は現物出資の給付をなした新株の引受人は払込みの翌日より株主となる旨規定されているので(商法二八〇条の九)、払込みがないのに株券上に株主名を表示することは真実に反する記載となり、有価証券虚偽記入罪を構成することとなる。本件の如く、再評価積立金の資本組入に基づく無償交付の場合も、株主は右事項について取締役会又は株主総会において決議がなされた時から発行された無償新株の株主となる旨規定されているので(株式会社の再評価積立金の資本組入に関する法律五条一項)、現実の払込みという問題は生じないとしても、過大評価による再評価積立金を設定したうえこれを資本に組入れ新株発行をすることは、引当てとなる資産がないのに新株を発行するものであるから、その株券に表示された株主は真実の株主ではないことになり、したがつてこの点において株券に真実に反する記載をなしたことになり有価証券虚偽記入罪を構成するのである。

さらに、現行商法はいわゆる授権資本制度を採用し、かつ無額面株式を認めたため資本と株式との関連は切断されているが、なお額面株式については、その券面額に発行済株式総数を乗じたものが資本を構成するものとされており、(商法二八四条の二、一項)、しかもこの資本は右のようにして算出される計算上の数額とはいうものの、資産の裏付けを要するものである(同法二〇二条三項参照)。右の如く、株券の券面額は資本の構成上重要な意味を有するものであるから、相当額の払込みもないのに、或は相当の引当てとなる会社資産もないのに額面株式を発行するということは、その株券上の券面額の記載は実質を伴わない真実に反する記載となり、この点からも有価証券虚偽記入罪を構成するのである。

担当検察官は、右に述べたところと同様な見解を前提として、なおこのような見解に特に異を唱える学説、判例も存しないことを調査したうえ原告の本件株券の印刷、発行が有価証券虚偽記入罪に該当すると判断したものであり、現実の払込み或は引当てとなる会社の資産の存在を前提としての新株発行という理論を無視した刑事判決の特異な見解と牴触したからといつて、何ら不当なものとはいえない。

(ロ) 架空増資に対する原告の認識

原告は、住友建設株式会社を買収した際、同社が休眠会社で資産皆無であることは知つていたが、住友一夫の行なつた前記架空増資は全く知らなかつた旨主張しているが、原告は同社の買収交渉中に東京興信所へ同社の信用調査を依頼しており、その調査報告書には、同社が既往若干の業績が見られた程度で業績不振により移転先も不明であること、同社が営業していた当時もその看板は貧弱で事務所らしい雰囲気に欠け、前記架空増資のなされた直後には事務所を明け渡していること等が記載してあつたので従来会社の設立、増資手続等に関し豊富な経験を有する原告としては右報告書から前記増資が架空のものであることを当然推認し得た筈である。現に原告自身も担当検察官に対し、同社の増資は正当なものではなく、見せ金もしくは預合の方法によるものと想像していた旨述べているのである。担当検察官は右の事実に基づき、原告は同社買収以前の架空増資の事実を知つていたものと判断したが、これは何ら不合理なものとはいえない。

(ハ) 行使の目的について

原告は、捜査段階においても本件株券の印刷自体は認めながら、これを利用、処分しようとした意図は全くなかつたとして、行使の目的を否認していた。しかし、原告は本件株券を丹正夫、川崎恒文らに貸与して借用料を徴していたこと、本件株券には住友グループ系統の共通マークである井桁マークに類似したマークが印刷されており、本件住友建設株式会社と同一商号の東京証券取引所二部上場会社である住友建設株式会社に対し会社を売り込もうとしていたこと、および当時原告が計画していた成田方面の事業に際し、土地提供者に本件株券を一時渡して代金支払の担保にしようと予定していたこと等の事実が捜査の過程に明らかになつた。担当検察官は、これらの事実より原告には行使の目的があつたと判断したが、これは相当なものであつたというべきである。

(ニ) ダブル株について

本件公訴事実第二について、担当検察官は仮に同第一が有価証券虚偽記入罪にあたらないとしても、既に第一記載の本件株券二五八枚の発行をもつて住友建設株式会社の発行済株式総数は充されることになるので、更に株式の裏付けのない株券、すなわちダブル株という意味において有価証券虚偽記入罪が成立するものと判断し、刑事公判廷においても公判担当検察官よりそのように主張された。

これに対して、刑事判決は、公訴事実第一記載の本件株券は未だ株主に交付、発行されていないとの認定のもとに右検察官の主張を排斥したが、右株券の株主名義はすべて原告を含む同社役員名義であつたうえ、その必要的記載事項はすべて記入されて完成した形で会社ロッカー内に保管されていたもので右役員らはいつでも任意にこれを取り出せる状態にあつたもの、即ちその実力支配内に入つていたことは明らかであるから、右株券は既に株主に交付されしたがつて株券としての効力が発生していたものと解すべきである。そうすると、公訴事実第二の株券は真実の株式を表象しないものであり、その意味において有価証券虚偽記入罪を構成することになるのである。

2 本件逮捕、勾留の合法性

本件捜査の端緒ならびに原告の逮捕、勾留に至る経緯は次のとおりである。

昭和四〇年一一月頃、神奈川方面の質屋へ何者かが本件株券を持参し、これをあたかも東京証券取引所一部上場の住友建設株式会社(当時は二部より一部へ昇格上場されていた)株券であるかの如く偽つて金借したり、その他東京、山梨方面においても、本件株券が大量に出廻り、これを右上場会社株券と誤認して取引するという被害が続出したので、神奈川県田浦警察署において捜査を開始し、昭和四一年六月一五日原告を有価証券虚偽記入罪の嫌疑により在宅事件として横浜地方警察庁横須賀支部へ送致した。そして、同日以降は右被疑事件を受理した同庁担当検察官が、本件株券の流出経路および本件株券に記載されている住友建設株式会社なる会社の実体、由来などについてさらに捜査を進めたところ左の事実が判明した。

(イ) 住友建設株式会社は、登記簿上のみ存在するいわゆる休眠会社の大栄興業株式会社(昭和二七年一二月一一日設立資本金一〇〇万円)を住友一夫が買収し前記商号に変更したものであるが、本店所在地の東京都渋谷区穏田三丁目一八九番地には一〇坪にも満たない居宅兼事務所が存するのみであり(右建物も実は他人所有土地の不法占拠であつた)、同人は同所において無許可の土建業を営んでいた。

(ロ) 同人は、昭和三六年一月一三日官公庁関係の入札指各を有利に受ける便宣上、前記のとおり資本金を一挙に一億二、九〇〇万円に架空増資(変更登記は同月二八日)したが、その直後業績不振により休業状態となつた。

(ハ) 原告は、前記のとおり昭和三七年七月頃住友より同社を買収したが、同社の架空増資の事実を察知しているものと認められた。

(ニ) その後間もなく、原告は右架空増資を利用して本件公訴事実第一記載の本件株券を印刷発行し、次いで約一年後に再び本件公訴事実第二記載の本件株券を印刷発行した。

(ホ) 本件株券は、昭和四〇年一一月頃古賀信行が当時原告の経営していたアサヒ芸能株式会社ロッカー内より窃取したものであるが、その後秋元登志博、木山豊、名倉正雄等を経て転々譲渡されたものである。

(ヘ) 原告は、本件株券若干枚を前記のとおり昭和三八年から昭和四一年頃までの間第三者に貸与していた。

しかし、なお原告の住友建設株式会社買収の経緯に関し、重要参考人住友一夫と原告との供述の間には可成りの喰い違いが存在したばかりでなく、原告が本件株券は成田市の観光開発事業に使用するのみで市場に流出させる意図はなかつたとする弁解につき、前記上場会社の住友建設株式会社訪問との関連において少なからず疑問があり、さらに本件は関係人多数、事案複雑で、原告が関係人に働きかけて罪証隠滅をはかるおそれもあると考えられたので、担当検察官は事案解明のため原告の身柄拘束に踏み切つたのである。以上の事実に照せば、原告には有価証券虚偽記入罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があり(それは、公訴を提起するに足りる程度の嫌疑までも要しないものと解されている)、かつ逮捕、勾略もその要件が存在したことは明らかであるから、担当検察官の行為には何ら違法性がないというべきである。

四<略>

五  請求原因五、のうち、原告が昭和四五年九月三〇日東京地方裁判所において刑事補償として一四万九、〇〇〇円の交付決定を得、その支払いを受けたことは認め、その余は争う。

第四  証拠関係<略>

理由

一原告は昭和四二年一月一八日有価証券虚偽記入の罪名で逮捕、引き続き勾留されたが、横浜地方検察庁横須賀支部検察官は同年二月八日横浜地方裁判所横須賀支部に対し、原告をその主張の如き公訴事実および罪名により起訴したこと、原告は東京地方裁判所において無罪判決の言渡を受け、右判決は確定したこと等請求原因第一、二項の事実は当事者間に争いがない。

二(一)  検察官の行なう強制捜査たる逮捕、勾留および公訴の提起が国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたることは明らかである。

そして、逮捕、勾留は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ身柄拘束の必要性があること、公訴の提起は公訴事実について有罪判決を得られる合理的な根拠があることを要するのはもとよりであるが、その刑事判決において結果として無罪の判決が確定したというだけでは、直ちに検察官の右各措置が違法となるわけではない。これらが違法であるというためには、検察官がその際に犯罪事実の存在についてなした証拠上或は法律解釈上の判断が、経験則、論理則上到底首肯し得ない程度に非合理な心証形成に達していることが必要であると解すべきである。

そこで、以下右の見地から本件担当検察官の判断の合理性の有無について検討する。

1  行使の目的の点は別として、原告が資産皆無であつた住友建設株式会社の本件株券を印刷したことは当事者間に争いがない。

<証拠略>を総合すると次の事実が認められ、これに反する乙第一五号証の記載は前掲各証拠に照しにわかに採用できない。

(1) 本件株券に表示されている住友建設株式会社は、昭和二七年一二月一一日資本金一〇〇万円をもつて設立され、間もなく余業活動を全く行わないいわゆる休眠会社となつた範栄興業株式会社(後に大栄興業株式会社と商号変更)を、住友一夫が昭和三二年八月頃登記費用三万円程度で買収したもので、同人は右買収と同時に自己の代表取締役就任ならびに前記商号への各変更登記をなした。

(2) 住友一夫は、同会社の本店を東京都渋谷区穏田三丁目一八九番地に置き、同所に居宅兼店舗(建坪一〇坪程度)を建て、同建物を事務所として主として建築請負業等を営んでいたが、資本金一億円以上の会社でなければ官公庁関係の指名入札を受けられないため、その方便として昭和三六年一月一三日再評価積立金の資本組入れの方法により、資本金を従来の一〇〇万円から一挙に一億二、九〇〇万円に増資し、同月二八日その旨の変更登記をした。

(3) ところで、その際同人が再評価の対象としたのは、前記事務所用建物の他に、前記本店所在地の土地約一八〇坪および同地上の建物三棟(建坪七〇坪程度)であつたが、これらも旅館業堺さくの所有物件であり(但し、右増資当時には楊永祐に譲渡されていた)、同会社の資産ではなかつた(なお、住友と堺もしくは楊との間には同会社の右土地使用に関する何らの約定も存せず、したがつて前記事務所用建物も不法占拠であつた)。

右に加えて、資産再評価に基づく再評価積立金の資本組入については、まず再評価額等を所轄税務署長に申告しなければならないのに(資産再評価法六条、四五条一項)、住友はこれを行なわず、また再評価の対象とされた資産自体も前記のとおり同会社の事務所用建物を除いては会社資産ではなかつたから、到底増資後の資本額を充たしうるものではなかつたが、当時は変更登記申請書に再評積立金の存在を証する書面の添付を要しなかつたので(昭和三八年法律一二六号により追加された株式会社の再評価積立金の資本組入に関する法律一一条の二、一項参照)、右増資による変更登記手続をすることの障碍とはならなかつた。

そして、同会社は右増資登記をした一か月後には事実上休業状態となり、資産も皆無となつた。

(4) 原告は、昭和三七年七月頃住友より、資産皆無の休眠会社たる同会社を約二〇万で事実上買収し(買収の事実は争いがない)、同年八月三一日住友と共に同会社の共同代表取締役たる旨の登記をした。

2  ところで、株式会社における資本は、会社に常に留保されるべき会社資産の最少限度を示す計算上の数額であり、会社が現実に保有する財産額とは異る。その意味において、額面株式の株券上に記載された一株の金額、いわゆる券面額は発行済株式総数に対する割合的持分権を示すものに過ぎず、会社資産の経済的価値を表象するものではない。しかし、有価証券虚偽記入罪の成否を論ずる際、右のことは当初有効に株式の引受け、払込みがなされた後、会社資産が物価の変動や営業成績の悪化等に応じて減少、下落し、それに伴ない株価の下落を生じる場合にいいうることである。換言すれば、当初から資本の充足が全くないか、またはないに等しい場合には、「券面額は会社資産の経済的価値を表象するものではない」という面のみから、株券の記載が虚偽であるかどうかを論ずることはできないのである。再評価積立金は、会社が減価償却を適正にし、資本の食いつぶしを防ぐ目的で資産の再評価を行なつた際に生じた再評価差額から、損失の填補に当てた額を控除した残額を積み立てたものであり(資産再評価法一〇二条)、したがつてこれを資本金に組み入れてもいわば勘定科目の振替えに過ぎず、会社の資産内容は何らの変動も生じないのであるが、本件の如く当初から資産再評価の対象たるべき会社資産が皆無に等しいような場合において、架空の再評価差額を設定したうえ、これを資本に組み入れて株券を発行することは、少なくとも増資時における資本充足の前提すら維持されていないという点においては、あたかも払込みが全くないにも拘らず株券を発行することと結果的には同様であり、当該株券が、会社に具備したことのない実体(資本の充足)をあたかも具備したかのように表示するという意味において、発行された株券上の株主、発行済株式総数、券面額の記載は真実に反するものであり(但し、そのことから右株券が商法上直ちに無効となるわけではない。両者は別問題である。)、これに行使の目的が伴えば、右の如き株券の発行に関与した会社役員については有価証券虚偽記入罪の成立する余地があるといわなければならない。

3  <証拠略>によれば、本件刑事判決は、本件公訴事実中に「額面五〇万円の価値ある株券」との記載がある点をとらえ、券面額が会社資産の経済的価値を表象するものでない以上、右は何ら真実に反する記載をしたことにならない旨判示していることが認められるが、原告に対する起訴状は、公訴事実の冒頭部分に「資本が充足されていない会社であることを知りながら、あたかも資本が充足されているかの如き内容虚偽の株券を発行し、」と、同第一に「あたかも一億二千九百万円の資本金が充足された住友建設株式会社の……価値ある株券であるかの如き内容虚偽の株券二百五十八枚を発行し、」と記載しており、前述の見地からこれを読むときは、本件公訴事実は右の如き架空増資に起因する株券記載事項の虚偽性を訴因としているものと解することができるのである。そもそも、一般論として、いかに株券が会社の経済的価値を表象するものでないとはいえ、資本金一億二九〇〇万円の資本が充足されたか否かは、実際問題として株券の価値の有無に差異をもたらすものといわなければならない。

そして、<証拠略>によれば、担当検察官は右のような見地に立脚して本件捜査を進め、後記のとおり架空増資に対する原告の認識および行使の目的等についての捜査資料とあわせて、本件につき有価証券虚偽記入罪が成立するとの心証を有するに至つたものであることが認められる。

一般に、右の如き構成要件のあてはめないし法律の解釈に関する判断は、いずれもその当否が微妙であり、一義的にその当否を明らかにしえない性質のものであるが、以上の検討によれば、担当検察官の右判断が明らかに不合理なものであつたと解することは困難である。

4  なお、<証拠略>によれば、担当検察官は、本件公訴事実第二については、仮に右に述べたところの意味における有価証券虚偽記入罪が成立しないとしても、公訴事実第一記載の本件株券二五八枚により既に同会社の発行済株式総数二五万八〇〇〇株に相当する株券は全部発行され、株主にも交付されているのであるから、更に重複して正規の株券以外の株券(いわゆるダブル株)を発行したという意味において有価証券虚偽記入罪が成立するものと判断していたことが認められる。

<証拠略>によれば、本件公訴事実第一記載の本件株券の株主名はその大部分が原告名義であつたが、一部には同会社取締役として名を列ねていた佐藤竜生、谷井栄次郎名義のものもあつたこと、原告は右株券の殆どを印刷後会社のロッカー内に新聞紙で包んだまま保管していたものであることが認められるから、仮にロッカーには施錠されていなかつたとしても、株主に交付がなされているものとは到底いえず、したがつて本件公訴事実第二記載の本件株券はダブル株にはあたらないものと解するのが相当である。もつとも、公訴事実第二の株券についても、公訴事実第一の株券と同様の意味において有価証券虚偽記入罪が成立する余地がある以上、結局右の点に関する担当検察官の判断の誤りは、原告の本訴請求の当否につき影響を及ぼすものではない。

(二)  住友建設株式会社の前記架空増資は、原告ではなく、原告が同会社を買収する以前に住友一夫により行なわれたものであるから、本件株券の発行につき原告に対して有価証券虚偽記入罪を問うには、右架空増資の事実を原告において認識していたことを要するものであることはいうまでもない。

<証拠略>によれば、原告は同会社を買収するに際し、予め商業登記簿謄本を取り寄せたり、東京興信所に同会社の過去の経営状態、負債関係等についての調査を依頼したところ、同会社は既往僅かな期間細々と事業を行なつていた当時も事務所や看板は極めて貧弱であり、その事務所建物も前記増資の頃不法占拠のかどで撤去されて以降は、代表者住友一夫の行方も不明になつている等の報告に接したりしたことから、原告自身も前記増資は正当なものではなく、見せ金もしくは預合の方法によりなされたものと推認していたことが認められるが、前記架空増資が行なわれた際、所轄税務署に対し再評価額の申告を怠る等の資産再評価法上の手続違背があつたことを原告において認識していたことを認めるべき証拠はない。しかし、本件については架空増資自体に対する認識をもつて足りるのであり、それ以上に架空増資が如何なる手続もしくは態様により行なわれたのであるかとか、増資手続の有効性に対する認識までをも要するものではないと解するのが相当であるところ、<証拠略>によれば、担当検察官は本件捜査の過程において、前記興信所の調査報告書等も原告より提出させて前認定の諸事実を把握し、これにより原告には架空増資に対する認識があつたとの心証を有するに至つたものであることが認められ、これは右に述べたところより相当な判断であつたと認められる。

(三)  原告は本件株券の行使の目的を否認しているが、<証拠略>によれば、原告は本件株券の発行に先立ち、かねてから計画していた千葉県成田市方面の観光開発事業に伴なう土地の買収に際し、原告には買収資金の準備が全くなかつたので、土地提供者に対しては本件株券を担保として交付しようと企図していたこと、原告は昭和三八年二月頃佐藤竜生とともに当時東京証券取引所第二部に上場されていた旧住友財閥系の住友建設株式会社(資本金一二億七五〇〇万円)本社を訪れ、商号が同一の住友建設株式会社の似たような株券が市場に出廻ると右会社に迷惑をかけることにもなりかねないから善処方を望む等、暗に本件住友建設株式会社の右上場会社への吸収合併もしくは商号の買取りによる何がしかの対価を要求するような態度に出たこと、原告は昭和三八年二月より昭和四一年頃にかけて丹正夫、浅野義晴他数名に対し借用料を徴して本件株券を数枚ないし数一〇枚貸与していたことが認められる。

<証拠略>によれば、担当検察官は捜査の過程において前認定の諸事実を把握し、これらを検討のうえ原告には本件株券の行使の目的があつたものと判断したことが認められ、右判断は経験則上首肯しうる合理的なものであつたと解することができる。

(四)  <証拠略>を総合すると、本件捜査の端縮および強制捜査に至る経緯は次のとおりであつたことが認められる。

昭和四〇年一一月頃、神奈川県、東京都、山梨県方面の市場や質屋等に本件株券が流通経路不明で出廻り、これを当時東京証券取引所一部上場の前記住友建設株式会社(同社株式は昭和三九年八月二部より一部へ昇格上場となつた)株券と誤認して金融を行なつたこと等に基づく多数の詐欺被害事件が発生した。担当検察官は、昭和四一年六月一五日本件を神奈川県警田浦警察署より送致を受け、右警察において収集された捜査資料を検討した結果、前記のとおり住友建設株式会社の実体および由来、架空増資、原告の同会社買収等についての一応の事情を把握し、当初は任意捜査により原告の他、住友一夫、寺主成尚(右上場会社株式担当文書課課長代理)等の出頭を求め事情を聴取したりして更に捜査を進めたところ、本件株券は当時原告が経営していたアサヒ芸能株式会社ロッカー内より古賀信行か持ち出したものであること等も判明したが、原告が本件株券を成田市の観光開発事業に使用するのみで市場に流出させる意図は全くなかつた旨行使の目的を強く争い、なお右との関連において原告の住友建設株式会社買収の経緯につき、原告と住友一夫との供述に少なからず食い違いがみられた。そして、本件は関係者が多数あり、原告がそれらの者に働きかけて罪証を隠滅する可能性もあるとの判断に達し、強制捜査に踏み切る方針を固め、前記のとおり原告の逮捕、勾留請求を行ない、原告の身柄を拘束した(右逮捕、勾留の点は争いがない)。

以上の事実によれば、原告に対する有価証券虚偽記入罪の嫌疑は一応存在し、かつ逮捕、勾留もその理由ないし必要性があつたものと認められるから、担当検察官の捜査に違法な点があつたと解することはできない。もつとも、<証拠略>によれば、担当検察官は本件捜査の過程において、原告につき有価証券虚偽記入罪の他に同行使罪と詐欺罪の嫌疑も存在することを認め、原告の勾留期間が延長された一つの理由も右余罪についての捜査を進める必要があつたことが窺われるが、有価証券虚偽記入罪と同行使罪ならびに詐欺罪はそれぞれ手段、結果の関係にあり、いわゆる牽連犯として科刑上一罪にあたるから、これらは原則として同時処理をなすべき主犯罪の事実の捜査であり、勾留延長の可否の判断に考慮されて然るべきものである。したがつて、担当検察官が右余罪捜査のために延長された勾留期間を利用したとしても、必らずしもこれを違法と解することはできない。

なお、原告の主張する古賀信行に対する担当検察官の供述強要は、前記甲第五号証をもつても認めるに足りない。

三以上の次第であつて、担当検察官がなした原告に対する逮捕、勾留、公訴の提起に関する判断は、経験則、論理則を超えた非合理なものであつたとは到底認められない。

よつて、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当たるを免れないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(杉田洋一 大沼容之 佐藤道雄)

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